2009年10月06日
柴田佐知子句集 『垂直』
柴田佐知子 句集
『垂直』を読む 山 百花
まず、帯の自選十句。
秘すことのはじめ手毬を背に廻し
鰯雲ひらがな母に教はりし
マフラーを巻いてやるすこし締めてやる
流れつく海底に雛あまた立つ
母老いて霞の通ふ体なり
立ち止まるとき垂直の遍路杖
千手仏千の螢を放ちけり
闇汁に龍の鱗を入れたると
鶏が勝手に鳴いて茄子の花
浮人形どこへも行けず浮き上がる
句集名「垂直」は、六句目から採られたの
であろう。確かに、歩いている時は斜めで、
立ち止まるときは「垂直」である。垂直と言
われるものが「遍路杖」であり、「立ち止ま
る」という措辞を置くのは意味深である。
垂直というと筆者は、自分の存在の地平に
対しての、遡る時間軸を思う。たとえば聖書
の、マタイ伝一章のアブラハムの子ダビデの
子、イエス・キリストの系図。創世記五章か
ら十一章の、アダムからアブラム(アブラハ
ム)への系図。この垂直の思考は、天との繋
がりの、希望の時間軸である。もうひとつ、
今日の科学的思考の時間軸でも考える。ビッ
グバン以降の長大な時間を等間隔で刻み、は
しょらずに辿ってみれば、長い長い巻物の終
りの方にちょっとだけ「人類」が存在し、さて
私の時間を書き込もうと思えば、ペン先を置
くスペースも無い。笑える。これぞ俳諧と独
り合点してしまうというものだ。そんなこと
から、この句を意味深だと言ったのである。
現実的行動に心身を磨り減らしていると、
その垂直は十句目のように浮人形の入ってい
る筒の天地でしかないし、精神的にも「どこ
へも行けず」という状態になる。しかし、た
とえ世界中のどこへでも行けるにしても、自
分の一生の位置と時間というものは、本当の
ところ、前の長い巻物に照らし合わせて考え
れば、浮人形の筒の中にすぎないと言える。
「私」もまた、聖書の系図のように、何かの
「繋ぎ」なのだ。
が、そのような考えと離れて自分の地平に
いることも、もちろん大事である。現実を逃
れることは畢竟できないからである。その中
で足搔いて時が過ぎたとき、何かが分かれば
それで良いではないか。
などと、この十句を読んで思っていたら、
なるほど帯文には著者の「あとがき」よりと
して、「 この世に生を受け、滅びへと向かう
自分もまた自然の姿そのものなのだという事
実に向き合う貴重な十年であった。」とある。
よく足搔かれたのだと思う。自選十句のうち
五句が、平成十八年から二十年の作である。
本を開くと、一読、筆者には息苦しい句集
だった。生な、揺れる感情が押寄せ、筆者が
共振してしまったからだ。
五部立てで、それぞれに題がある。最初の
「月光」では被害者意識が強く出ている。特
に最後の句、
冬の日や死して仰臥に正さるる
これは直ぐに石田波郷の、
梅も一枝死者の仰臥の正しさよ
が想起される。波郷の死者へのいつくしみの
まなざしとは違い、傍観者的で無力感が漂う
のだ。
次の「正面」になると、心境の変化がみら
れ、
道をしへ勝手な方へ行けばよい
などと攻撃的、投げ遣りな面とともに、子供
時代の楽しかったことを振り返る余裕が出て
きて、いやいや、そういったものでもないと
の思いがある。たとえば「月光」の、
遠泳の誰も敗者のごと戻る
に対して、
遠泳の終りは海を曳き歩む
となり、
気が合ひて恋とはならずサイネリア
に対して、
本当のことは寂しきサイネリア
とある。
「霜夜」になっても、
剃髪を希ふ雛も流れゐむ
などと、まだ否定的な発想と状態に目が行く
らしいが、「 月光」の、
逢へぬ日の水打つ更に遠く打つ
に対し、
水打ちしあたりがすこし暗みたる
また、
堕ちてゆく快楽思へり蟻地獄
に対し、
窮屈な柩を思ふ霜夜かな
そして両親の老いを見ているうちに、
子が底に押しつけてをり浮人形
稲光死人に口がまだありて
など、自分の思いと距離がとれるようになっ
ている。
「千手」になると、諦めが明らめにもなっ
てくるようだ。
おほかたの鶏が戻らぬ出水あと
香水や贅のひとつに独り身も
龍淵に潜む女は長生きす
老僧に美僧つきゆく桜かな
管玉の青きかなたに秋の蛇
この世には、老僧に美僧のつき歩く世界もあ
るのである。
「山河」では現実肯定が見えてくる。
退屈な極楽を出て囀れり
父ははに同じ夕暮桃の花
そして、
立ち止まるとき垂直の遍路杖
千手仏千の螢を放ちけり
闇汁に龍の鱗を入れたると
鶏が勝手に鳴いて茄子の花
浮人形どこへも行けず浮き上がる
と続くのである。
この流れからは、最後の浮人形の句は決し
て否定的ではない。なぜなら「浮き上がる」
のだから。
こうして作者は「 貴重な十年であった。」
と結論付けられる心境になったのであろう。
血の繋がりではなくとも、人は、人類の歴史
の中に繋がることはできる。私たちが俳句を
通して芭蕉と繋がっているように、私達も後
世と繋がることができる。龍の鱗が作者の俳
句へ託した心なら、一句が一枚の鱗となる。
どこかの読者との交感を期しつつ、作者はま
た「あとがき」に「俳句と共に立っていたい
と願っている。」とも書いているのである。
『惜命』は、波郷の第五句集である。作者
の、急がない第五句集を待ちたいと思う。
略歴をご紹介する。
1949年 福岡県に生れる。
1986年 伊藤通明に師事 「白桃」入会
1989年 第5回白桃賞受賞
1990年 第1句集『筑紫』刊
1993年 第7回俳壇賞受賞
1994年 第2句集『歌垣』刊
1995年 白桃同人賞・第25回福岡市文
学賞受賞
1999年 第3句集『母郷』で第22回俳
人協会新人賞・白桃同人賞受賞
2003年 白桃編集長を辞し3月に「空」
創刊主宰。
「白桃」同人・俳人協会幹事・日本文藝家協
会会員
『麻』2009年9月号掲載
『垂直』を読む 山 百花
まず、帯の自選十句。
秘すことのはじめ手毬を背に廻し
鰯雲ひらがな母に教はりし
マフラーを巻いてやるすこし締めてやる
流れつく海底に雛あまた立つ
母老いて霞の通ふ体なり
立ち止まるとき垂直の遍路杖
千手仏千の螢を放ちけり
闇汁に龍の鱗を入れたると
鶏が勝手に鳴いて茄子の花
浮人形どこへも行けず浮き上がる
句集名「垂直」は、六句目から採られたの
であろう。確かに、歩いている時は斜めで、
立ち止まるときは「垂直」である。垂直と言
われるものが「遍路杖」であり、「立ち止ま
る」という措辞を置くのは意味深である。
垂直というと筆者は、自分の存在の地平に
対しての、遡る時間軸を思う。たとえば聖書
の、マタイ伝一章のアブラハムの子ダビデの
子、イエス・キリストの系図。創世記五章か
ら十一章の、アダムからアブラム(アブラハ
ム)への系図。この垂直の思考は、天との繋
がりの、希望の時間軸である。もうひとつ、
今日の科学的思考の時間軸でも考える。ビッ
グバン以降の長大な時間を等間隔で刻み、は
しょらずに辿ってみれば、長い長い巻物の終
りの方にちょっとだけ「人類」が存在し、さて
私の時間を書き込もうと思えば、ペン先を置
くスペースも無い。笑える。これぞ俳諧と独
り合点してしまうというものだ。そんなこと
から、この句を意味深だと言ったのである。
現実的行動に心身を磨り減らしていると、
その垂直は十句目のように浮人形の入ってい
る筒の天地でしかないし、精神的にも「どこ
へも行けず」という状態になる。しかし、た
とえ世界中のどこへでも行けるにしても、自
分の一生の位置と時間というものは、本当の
ところ、前の長い巻物に照らし合わせて考え
れば、浮人形の筒の中にすぎないと言える。
「私」もまた、聖書の系図のように、何かの
「繋ぎ」なのだ。
が、そのような考えと離れて自分の地平に
いることも、もちろん大事である。現実を逃
れることは畢竟できないからである。その中
で足搔いて時が過ぎたとき、何かが分かれば
それで良いではないか。
などと、この十句を読んで思っていたら、
なるほど帯文には著者の「あとがき」よりと
して、「 この世に生を受け、滅びへと向かう
自分もまた自然の姿そのものなのだという事
実に向き合う貴重な十年であった。」とある。
よく足搔かれたのだと思う。自選十句のうち
五句が、平成十八年から二十年の作である。
本を開くと、一読、筆者には息苦しい句集
だった。生な、揺れる感情が押寄せ、筆者が
共振してしまったからだ。
五部立てで、それぞれに題がある。最初の
「月光」では被害者意識が強く出ている。特
に最後の句、
冬の日や死して仰臥に正さるる
これは直ぐに石田波郷の、
梅も一枝死者の仰臥の正しさよ
が想起される。波郷の死者へのいつくしみの
まなざしとは違い、傍観者的で無力感が漂う
のだ。
次の「正面」になると、心境の変化がみら
れ、
道をしへ勝手な方へ行けばよい
などと攻撃的、投げ遣りな面とともに、子供
時代の楽しかったことを振り返る余裕が出て
きて、いやいや、そういったものでもないと
の思いがある。たとえば「月光」の、
遠泳の誰も敗者のごと戻る
に対して、
遠泳の終りは海を曳き歩む
となり、
気が合ひて恋とはならずサイネリア
に対して、
本当のことは寂しきサイネリア
とある。
「霜夜」になっても、
剃髪を希ふ雛も流れゐむ
などと、まだ否定的な発想と状態に目が行く
らしいが、「 月光」の、
逢へぬ日の水打つ更に遠く打つ
に対し、
水打ちしあたりがすこし暗みたる
また、
堕ちてゆく快楽思へり蟻地獄
に対し、
窮屈な柩を思ふ霜夜かな
そして両親の老いを見ているうちに、
子が底に押しつけてをり浮人形
稲光死人に口がまだありて
など、自分の思いと距離がとれるようになっ
ている。
「千手」になると、諦めが明らめにもなっ
てくるようだ。
おほかたの鶏が戻らぬ出水あと
香水や贅のひとつに独り身も
龍淵に潜む女は長生きす
老僧に美僧つきゆく桜かな
管玉の青きかなたに秋の蛇
この世には、老僧に美僧のつき歩く世界もあ
るのである。
「山河」では現実肯定が見えてくる。
退屈な極楽を出て囀れり
父ははに同じ夕暮桃の花
そして、
立ち止まるとき垂直の遍路杖
千手仏千の螢を放ちけり
闇汁に龍の鱗を入れたると
鶏が勝手に鳴いて茄子の花
浮人形どこへも行けず浮き上がる
と続くのである。
この流れからは、最後の浮人形の句は決し
て否定的ではない。なぜなら「浮き上がる」
のだから。
こうして作者は「 貴重な十年であった。」
と結論付けられる心境になったのであろう。
血の繋がりではなくとも、人は、人類の歴史
の中に繋がることはできる。私たちが俳句を
通して芭蕉と繋がっているように、私達も後
世と繋がることができる。龍の鱗が作者の俳
句へ託した心なら、一句が一枚の鱗となる。
どこかの読者との交感を期しつつ、作者はま
た「あとがき」に「俳句と共に立っていたい
と願っている。」とも書いているのである。
『惜命』は、波郷の第五句集である。作者
の、急がない第五句集を待ちたいと思う。
略歴をご紹介する。
1949年 福岡県に生れる。
1986年 伊藤通明に師事 「白桃」入会
1989年 第5回白桃賞受賞
1990年 第1句集『筑紫』刊
1993年 第7回俳壇賞受賞
1994年 第2句集『歌垣』刊
1995年 白桃同人賞・第25回福岡市文
学賞受賞
1999年 第3句集『母郷』で第22回俳
人協会新人賞・白桃同人賞受賞
2003年 白桃編集長を辞し3月に「空」
創刊主宰。
「白桃」同人・俳人協会幹事・日本文藝家協
会会員
『麻』2009年9月号掲載
2009年05月22日
松ノ木遺跡


サイクリングです♪
っていっても、いつもの善福寺川沿いの道・・。
空き地に花いっぱい咲かせているところに、「むしとりなでしこ」もありました。なつかし♪♪

きょうは、途中の松ノ木遺跡へ寄りました。
杉並区は昔々の人々の跡があちこちにあり、じつはなかなか意味深な土地でもあります。
上掲の写真は、1400年前の住居遺跡です。
案内板によると、およそ東西5.3m、南北3.9m、南側入口わきに「かまど」があるのがめずらしいとあります。
昭和43年の補修に伴い、壁、出入口、「かまど」を復元しています。
壁っていっても下方だけですが。
手前の棒の立っているのが「かまど」の辺り。
奥のふたつが屋根を支える柱の位地で、それも普通とちょっと違います。
この遺跡のそばに、全体を復元したものが作ってあり、中に当時の生活の再現らしきものがあります。
狭い・・ですね。
わたしはとても引っ越せません。。。(TωT)
2009年05月16日
つくば句会
ちょっと考え事があってグズグズしてるところもあったのですが、端折って参加。
句が無いのはいつものことで・・・・。
特急バス(運転手さん、高速バスって言わなかった!)の中でメールのやりとりしてたりして、俳句そっちのけでした。。。というか、景色みても浮かばない。昔の句が頭に張り付いてる。。
なびくほどなくて植田の光りけり 百花
2004年の作。もうそんなに日が経ってるのですね・・・。
句集に入れてある句です。句集、いつ出るんでしょうね。。
★
兼題・亀の子、席題・夏つばめ、4句出句、112句から7句撰。
採っていただいた句。
葉隠れの甘き鶯神楽の実 1
三角の中洲が浮かび夏つばめ 1
亀の子のまつすぐ走る速さかな 1(編集長)+主宰
苦心して作った句は、季語(千団子)が馴染みのないものだったから(?)なんて。。
面白くないからよ、って聞こえてきそう!!
鶯神楽という、茱萸みたいなのを持って来られた方がいて、でも作ったのはわたしだけでした。
今日は、わたしの大好きなタイプの撰がありました。
すなわち・主宰と編集長だけに採っていただく・という。。。。。
これが快感
なのでありました。。ヘン??
そんなどうでもいいこと言ってないで、今後はほんとに作らねば。。
作らないでどんどん日が経ってしまっています。このまま一年終わっちゃいそう (- -;)
最近出るのが多いからね。。。疲れてるのかな。。。いろいろと。。。
句が無いのはいつものことで・・・・。
特急バス(運転手さん、高速バスって言わなかった!)の中でメールのやりとりしてたりして、俳句そっちのけでした。。。というか、景色みても浮かばない。昔の句が頭に張り付いてる。。
なびくほどなくて植田の光りけり 百花
2004年の作。もうそんなに日が経ってるのですね・・・。
句集に入れてある句です。句集、いつ出るんでしょうね。。
★
兼題・亀の子、席題・夏つばめ、4句出句、112句から7句撰。
採っていただいた句。
葉隠れの甘き鶯神楽の実 1
三角の中洲が浮かび夏つばめ 1
亀の子のまつすぐ走る速さかな 1(編集長)+主宰
苦心して作った句は、季語(千団子)が馴染みのないものだったから(?)なんて。。
面白くないからよ、って聞こえてきそう!!
鶯神楽という、茱萸みたいなのを持って来られた方がいて、でも作ったのはわたしだけでした。
今日は、わたしの大好きなタイプの撰がありました。
すなわち・主宰と編集長だけに採っていただく・という。。。。。
これが快感
なのでありました。。ヘン??そんなどうでもいいこと言ってないで、今後はほんとに作らねば。。
作らないでどんどん日が経ってしまっています。このまま一年終わっちゃいそう (- -;)
最近出るのが多いからね。。。疲れてるのかな。。。いろいろと。。。
2009年05月12日
運河・東京句会
今回は、多摩川台公園です。
いつもすてきな処を選んでくださって、有難うございます。
茨木先生は、ピンクのシャツでした〜。おしゃれ。
多摩川台公園というだけではどんな処か見当もつきませんが、多摩川沿いの、古墳がたくさんあるところです。
古墳、それだけでもワクワクです。
行ってみると、あまりに静かなところで、鉄橋を渡る電車の音だけがガタガタうるさいのでした。
嘱目10句。100句から7句撰。採っていただいた句。
・・・今回、和生撰は、添削して採るというのが多くて、どう載せたらよいやら・・で、工夫しました・・
夏草の香や五号墳七号墳 3
(夏草なら香はするものだから草いきれとかに)
古墳いまも濁世の湿り夏の川 1
毒流し外国産の亀ばかり 1+和
(亀は流れないんだよ・・毒流し→えごの花)
えごの香や天才ときにわがままで ・・・和・特選
(えごの香という季語は無い ⇒ 天才はときにわがままえごの花)
坂多き古墳の町の薄暑かな 4+和・特選
というわけで、先日来のいい加減が続いています。季寄せを持って行っても、ちっとも見ない。。。。
毒流しというのは、えごの花の散る池で先生に教えていただいたものですが、内容の把握ができていませんでした
川でしたよね・・・
すみません。。。
そのかわり、いろんな注意事項をお聞きできました。
古墳から一駅先の句会場への道も吟行。田園調布はすばらしい邸宅が並びます。お庭も家もステキ。駅に先生を待たせて、数人でパン屋さんへ入ったりして・・
今回、撰をするときは吟行先で見たものは白紙にして、一句として見る、ということを伺いました。そうですよね〜、それでなきゃあ・と我が意を得たりの感。
伝達性というのは大事ということです。
伝達のための削ったり増やしたりも、なかなか難しいですが。
それにしても、楽しすぎて申し訳ないような。。
★★★★
帰り、新宿で途中下車して、子供用の漢字辞典を、南口紀伊国屋書店で。
やっぱり沢山揃っているので、選べて良い。
わたしの分まで買ってしまいました。今頃ですが・・漢字覚えなきゃ。。。
子供には 字が大きい方が良いし、わたしも♪
いつもすてきな処を選んでくださって、有難うございます。
茨木先生は、ピンクのシャツでした〜。おしゃれ。
多摩川台公園というだけではどんな処か見当もつきませんが、多摩川沿いの、古墳がたくさんあるところです。
古墳、それだけでもワクワクです。
行ってみると、あまりに静かなところで、鉄橋を渡る電車の音だけがガタガタうるさいのでした。
嘱目10句。100句から7句撰。採っていただいた句。
・・・今回、和生撰は、添削して採るというのが多くて、どう載せたらよいやら・・で、工夫しました・・
夏草の香や五号墳七号墳 3
(夏草なら香はするものだから草いきれとかに)
古墳いまも濁世の湿り夏の川 1
毒流し外国産の亀ばかり 1+和
(亀は流れないんだよ・・毒流し→えごの花)
えごの香や天才ときにわがままで ・・・和・特選
(えごの香という季語は無い ⇒ 天才はときにわがままえごの花)
坂多き古墳の町の薄暑かな 4+和・特選
というわけで、先日来のいい加減が続いています。季寄せを持って行っても、ちっとも見ない。。。。
毒流しというのは、えごの花の散る池で先生に教えていただいたものですが、内容の把握ができていませんでした
川でしたよね・・・すみません。。。
そのかわり、いろんな注意事項をお聞きできました。
古墳から一駅先の句会場への道も吟行。田園調布はすばらしい邸宅が並びます。お庭も家もステキ。駅に先生を待たせて、数人でパン屋さんへ入ったりして・・
今回、撰をするときは吟行先で見たものは白紙にして、一句として見る、ということを伺いました。そうですよね〜、それでなきゃあ・と我が意を得たりの感。
伝達性というのは大事ということです。
伝達のための削ったり増やしたりも、なかなか難しいですが。
それにしても、楽しすぎて申し訳ないような。。

★★★★
帰り、新宿で途中下車して、子供用の漢字辞典を、南口紀伊国屋書店で。
やっぱり沢山揃っているので、選べて良い。
わたしの分まで買ってしまいました。今頃ですが・・漢字覚えなきゃ。。。
子供には 字が大きい方が良いし、わたしも♪
2009年05月10日
麻例会
10日締め切りの二誌へ16句。
昨夜遅くまでかかって、本局から速達で出したのが23時。。。
このところ、ほんとに句が出来なくて、なんとか作ってあるものを推敲してそれらしくしたものと、今日の句会へ出すものとで四苦八苦しながら纏めました。
あんまり褒められたものではありません。
で、結果。。
兼題・白シャツ、4句出句、160句から7句撰。採っていただいた句。
薫風や平均台に伸ばす脚 4+主宰
あと、講評のときに、無点だったけど主宰が気にして名乗りを求められた句。
白シャツが甘きかをりの垣へ寄る
ちょっと冒険してみた句は、無点でした。
今回、すばらしい句が沢山あって、7句撰はつらかった・・・。
その中で落してしまった句を、あとで勿体無かったと思ったりして、結局、わたしの撰の甘さが思われます。
もっとも最近は、万事・キリキリやらずに行こう
なんて、思っていたものだから、これも想定のうち、といえば言えなくも無いわけです。
この辺の切り替えが、今後の課題。
懇親会では、かなり笑っていたらしい

というわけで、今もビールです♪
帰りに本屋へ。
本が入ったという電話があったので寄ったのですが、先日も受け取ったものがあり、しかも二冊だというのです。>????<
本の名前を聞かれても分からない。。
で、出てきた本が、もう二年ほど前に頼んでおいたものでした。
出版されたら買うことにして待っていた本でしたが、忘れてた
これが読みたかったのよ!と思い出して、にこにこです
読んだらご紹介します♪♪♪
昨夜遅くまでかかって、本局から速達で出したのが23時。。。
このところ、ほんとに句が出来なくて、なんとか作ってあるものを推敲してそれらしくしたものと、今日の句会へ出すものとで四苦八苦しながら纏めました。
あんまり褒められたものではありません。
で、結果。。
兼題・白シャツ、4句出句、160句から7句撰。採っていただいた句。
薫風や平均台に伸ばす脚 4+主宰
あと、講評のときに、無点だったけど主宰が気にして名乗りを求められた句。
白シャツが甘きかをりの垣へ寄る
ちょっと冒険してみた句は、無点でした。
今回、すばらしい句が沢山あって、7句撰はつらかった・・・。
その中で落してしまった句を、あとで勿体無かったと思ったりして、結局、わたしの撰の甘さが思われます。
もっとも最近は、万事・キリキリやらずに行こう
なんて、思っていたものだから、これも想定のうち、といえば言えなくも無いわけです。この辺の切り替えが、今後の課題。
懇親会では、かなり笑っていたらしい


というわけで、今もビールです♪
帰りに本屋へ。
本が入ったという電話があったので寄ったのですが、先日も受け取ったものがあり、しかも二冊だというのです。>????<
本の名前を聞かれても分からない。。
で、出てきた本が、もう二年ほど前に頼んでおいたものでした。
出版されたら買うことにして待っていた本でしたが、忘れてた

これが読みたかったのよ!と思い出して、にこにこです

読んだらご紹介します♪♪♪
2009年05月04日
鬼子母神


法明寺天水桶の印 鬼子母神の天水桶の印
雑司が谷の鬼子母神へ。
去年、吟行句会の途中にあった清土鬼子母神が、芭蕉さんと関係大有りということが分って、法明寺と鬼子母神、そして清土鬼子母神へももう一度。
子供の頃、父と鬼子母神の傍を歩いた覚えがあります。そのときには、右手のいくらか小高い処に、暗いかんじの林というほどでもない木々とお堂、その左側に大きな木があったこと。丘の土がこぼれそうだった記憶が残っています。
ネットで見る鬼子母神は立派な囲いの中です。月日が経ちました。
法明寺へは池袋駅から。墓地の横を抜けて。
静かで気持ちの良いお寺でした。
句碑など拝見。
鬼子母神へはすぐです。
行ってみると、かなり大きい妙見堂と背中合わせという、めずらしい形です。
三十三間堂の1001体目が北を向いていることなども思い出されます。
本堂は祈祷を願われる方しか入れず、見たかった額は見られませんでした。そういうのはこれで、と、パンフレットを下さいました。
写真を撮ったりお団子を食べたりして、清土鬼子母神へ。
工事中でした。
参拝用通路を、石からをコンクリートに変えるらしい。
横から入って、気になっていたところは一応写真に納めたつもりだったのですが、メモして行ったはずの見るべきところが見当たらず、鬼子母神のほうだったかと思い、また鬼子母神へ戻ったのに見当たらず。。。
それはやっぱり清土鬼子母神のほうで、工事中で近寄れなかったところのお堂なのでした・・・
もうイヤ。。。帰り道、また法明寺へ寄り、上に挙げた天水桶の印を拝見。変わった図柄です。
ちょうど戸締りを始めた小僧さんに聞いたら分からなくて、わざわざ他の方を連れて来てくださった。鬼子母神と同じ、石榴、ということだったけど、どうも違う。。
で、また鬼子母神へ戻って、そちらの天水桶を見れば、やっぱり違う。ふむふむ。。
こちらも戸締りが進行中。
大通りと裏通りを楽しみました。
2009年05月02日
『ナイトフライヤー』 高遠朱音
ふらんす堂。
1985年生まれ。すでに俳号を持ってから10年。
中学生からというのは、なんとも羨ましいかぎりです。
わたしが有季定型でやってきているので、どうしても基準が其処にある。
それを振りかざしはしないけれど。。。。
それでいて選ぶのはやっぱりそんな句かもしれなくて、ごめんなさいね。
以下、ご紹介。
夜間飛行下界すべてが水族館 高遠朱音
鮨詰めの私がひとり神無月
真っ青な私に帰る青葉木菟
音域のところどころに白木蓮
地平線のかなたから来る私
梅雨に入る父少年の影伸ばし
暁や張り詰めていた黒揚羽
足音に足音の影や晩夏
プルタブを押し上げ春の滲み出す
1985年生まれ。すでに俳号を持ってから10年。
中学生からというのは、なんとも羨ましいかぎりです。
わたしが有季定型でやってきているので、どうしても基準が其処にある。
それを振りかざしはしないけれど。。。。
それでいて選ぶのはやっぱりそんな句かもしれなくて、ごめんなさいね。
以下、ご紹介。
夜間飛行下界すべてが水族館 高遠朱音
鮨詰めの私がひとり神無月
真っ青な私に帰る青葉木菟
音域のところどころに白木蓮
地平線のかなたから来る私
梅雨に入る父少年の影伸ばし
暁や張り詰めていた黒揚羽
足音に足音の影や晩夏
プルタブを押し上げ春の滲み出す
2009年04月30日
撰も難しい
同人誌の俳句大会の、出句参加の選者というのを体験
送られてきたものは以前の記念日俳句とは違って数も多いし、同人としての矜持(!)もあるし、自分の俳句観も出るし、撰も実力のうちというのをつくづく思いました。
というのは、普段の句会の撰では、その場限りの、面白い!というのでも採れるけれど、こちらはそうはいかないから。
撰をすることによって、わたしも試されている、そんな感じです。
ちかごろ、また迷っていると言われているので、足元を見直すつもりで撰しました
最初に当ったのと、日を置いて当ったのと勘案すると、自分の俳句観も整理できて有り難かったです。

送られてきたものは以前の記念日俳句とは違って数も多いし、同人としての矜持(!)もあるし、自分の俳句観も出るし、撰も実力のうちというのをつくづく思いました。
というのは、普段の句会の撰では、その場限りの、面白い!というのでも採れるけれど、こちらはそうはいかないから。
撰をすることによって、わたしも試されている、そんな感じです。
ちかごろ、また迷っていると言われているので、足元を見直すつもりで撰しました

最初に当ったのと、日を置いて当ったのと勘案すると、自分の俳句観も整理できて有り難かったです。
2009年04月25日
蛮句会
偶数月の句会です。
兼題・のびるに関する句。4句出句、64句から7句撰。
採っていただいた句・・ナイ!。無点でした〜。
え==、こんな良い句をなぜ採らぬ
というのは負け惜しみ??
ここはここ。わたしはわたし。
きょうは翼くんが来て、良い句を出されていました。
だからわたしも、いつものような句を出せばいいのよ、とは、二次会で弓湖さんに言われたこと。ここらしい句、というのはナシ。
そうね、麻でもそうそう採って頂ける訳でもなし、ふつうに作れば良いのでした。
採っていただくのが目的ではなく、楽しくやる!のがここの句会へ参加の理由でした ♪
だから、無点とわかった時点で、しょげるのではなく、評に力をいれよう!と切り替え。
あたまスッキリで発言できました。そんなことも進歩。
ヘンに励ましてくれるのではなく、ハラヲワッテ本音ヲ言ってくださるのが嬉しい。
なかま、って感じ。。
これからもどうぞよろしく ♪
で、しっかり楽しんで、帰りの電車は寝て帰る。
★★★
帰ったらなにやらお届けものが。
・・・・ひろみさんから・・・・
お便りと、裕一郎さんの絵と色紙と和紙を切った短冊。
貰ってください、とのこと。。。。。
すばらしい点描画です。精神の色がこんなふうに出せるのですね。
コートを着たままで、しばらく浸るものがありました。
数日前から考えていたことが、こんな形でわたしの前に現われました。
霊力というものはある。
気のせいということでは無く、感じあう力はある。
現実の世界では生きづらいにしても、違う世界と通じ合えること。
埴谷雄高の世界でもあるけれど。
ありがとうございます。嬉しかったです。
兼題・のびるに関する句。4句出句、64句から7句撰。
採っていただいた句・・ナイ!。無点でした〜。
え==、こんな良い句をなぜ採らぬ
というのは負け惜しみ??ここはここ。わたしはわたし。
きょうは翼くんが来て、良い句を出されていました。
だからわたしも、いつものような句を出せばいいのよ、とは、二次会で弓湖さんに言われたこと。ここらしい句、というのはナシ。
そうね、麻でもそうそう採って頂ける訳でもなし、ふつうに作れば良いのでした。
採っていただくのが目的ではなく、楽しくやる!のがここの句会へ参加の理由でした ♪
だから、無点とわかった時点で、しょげるのではなく、評に力をいれよう!と切り替え。
あたまスッキリで発言できました。そんなことも進歩。
ヘンに励ましてくれるのではなく、ハラヲワッテ本音ヲ言ってくださるのが嬉しい。
なかま、って感じ。。
これからもどうぞよろしく ♪
で、しっかり楽しんで、帰りの電車は寝て帰る。
★★★
帰ったらなにやらお届けものが。
・・・・ひろみさんから・・・・
お便りと、裕一郎さんの絵と色紙と和紙を切った短冊。
貰ってください、とのこと。。。。。
すばらしい点描画です。精神の色がこんなふうに出せるのですね。
コートを着たままで、しばらく浸るものがありました。
数日前から考えていたことが、こんな形でわたしの前に現われました。
霊力というものはある。
気のせいということでは無く、感じあう力はある。
現実の世界では生きづらいにしても、違う世界と通じ合えること。
埴谷雄高の世界でもあるけれど。
ありがとうございます。嬉しかったです。

